一番胸が苦しくなったのが、ハートネルの変化。
最初はお孫さんのジェシカにも「この馬鹿娘」と憎まれ口を叩きながらソファに座って酒を煽るような状態。
「ドクター・フー」が始まり、1話目はケネディ大統領の暗殺があって視聴率も微妙だったけど、2話目の「The Daleks」で一気にイギリス中の子どもたちが「Exterminate!」と言うようになり、一躍人気番組となるに連れて、ハートネルは朗らかになり、笑顔も増え、ジェシカとも楽しそうに「ドクター・フー」の話をするようになる。
極めつけは近所の公園で妻と2人でファンレターを見ている時、近くに居た子供にサインをねだられるシーン。
ドクターっぽい演技をして応えてあげているところがもう…
その後、近くに居た大勢の子供達と一緒に行進して、「さあ、みんなでターディスに帰ろう!」→「ダーレクがでたぞ!逃げろ!」でダーレクの声真似までしてあげる。
とっても幸せそうだった。
脳血管障害のために段々と台詞が覚えられなくなっていって、信頼していたヴェリティも他局に行ってしまい、それでも「私がドクターだから」と言い続けていたけれど、最終的に製作のシドニー・ニューマンによりキャスト変更=リジェネレーションを提案されてしまう。
「パトリック・トラウトンなら良い配役だ」って言いはするけれど、とても悲しそうな顔になってしまう。
そのまま家に帰って、暖炉の前で「I don't want to go」って言うところでもう涙腺が駄目だった。
どうしたって10thのお別れを連想してしまうから、二重の意味で駄目。
それにそれまでのハートネルがどれだけ番組を愛していたかをずっと見ていたから、辛さの余り泣きだしてしまうところに釣られてしまった。
ヴェリティは新人だからという理由でぞんざいに扱われ、女性だからという理由で変な注目を浴びながらの番組制作をすることに。
ハートネルと面会してドクター役を頼むときにも、本当は脚本はニューマンにボツにされてるしスタジオも汚いDスタジオを充てがわれているし、小道具制作部はターディスをいつまでたっても作ってくれないし、と散々な状態だけれど必死に口車に乗せてハートネルを誘い出してる。
そんな中一緒に監督として製作をすることになったインド人のワリス・フセインとは、それぞれBBC局内でのマイノリティである者同士絆を深めていくことに。
1話目の撮影でも室内の温度が上がりすぎてスプリンクラーが動いたり、カメラの動きがフセインの指示通りにならなかったりとぐっだぐだ。
おまけに話は怖いし、すぐに打ち切り(「Kill Doctor Who」なんて言われてた)されるところを、ダーレクを生み出し、「モンスターとか出すな!」というニューマンを「注目すべきはモンスターではなく脚本です!」と主張して、結果1000万人の視聴者を釘付けにすることになった。
彼女の熱意にニューマンも、そしてハートネルも絆されて、視聴者人気が後押しして「ドクタ・フー」は大人気番組になっていった。
でも彼女は成功の結果他局に移動になってしまう。勿論別れを惜しんだし、ハートネルもとても悲しんでいた。
フセインも同じく成功の結果、番組に関わることが減ってしまう。
台詞が覚えられない。
ヴェリティもフセインもいない。
新しいスタッフはターディスの動かし方すら知らない。
そんな新しい制作環境にハートネルは昔の意地悪なおじいちゃんに戻ってしまう。
その前まではみんなでパーティをしたり、ジェシカをスタジオに連れてきたりと家族みたいに楽しそうだったのがあるから悲しい。
1代目最後のシーンの撮影が始まり、セットの下にあるターディスのスイッチを自ら入れて、コンソールを動かすハートネル。
ライトの眩しさに少し目をつぶり、左を向くとそこにはボウタイにジャケットを着た若い男が立っていた。
ゲストでちょっとだけ出るよ、とは言われていたマット・スミス。
この前のシーンが「I don't want to go」でボロ泣きしていたところに、まるで「大丈夫、これから50年後までドクターはずっと生き続けるよ」とでも言わんばかりに微笑んだ11代目の顔を見てしまって、涙が抑えきれなくなった。
最後に本人たちのインタビューが入ってた。
お孫さんのジェシカさんとか、歴代ドクター役俳優、ブラッドリーさんなどの今回のキャスト陣に当時の制作スタッフなど。
とっても良いドキュメンタリードラマでした。
本当に50周年を迎えることが出来てよかったな、と改めて思い返した次第。