私の通っていた中学校の校舎が、今はもう無いことをさっき知った。
Googleマップでみると校舎部分が駐車場になっていて、体育館とか理科室とかがあった棟だけが市の施設として残っていた。
話を戻す。
数年前、私が中学生だった頃。
私は小学校で色々あったため公立に行くことが嫌で、遠く離れた私立中学に通うことを選んだ。
近所の子が名前も知らないような、つまり誰も来ないようなところに行きたかった。
電車通学も当然初めて。最初は磁気定期だった時代(いつの間にかICカードになったけど)。
その中学は県内じゃ割と頭がいいことで有名で、入学試験も見たこともないような謎の問題だらけだった。
で、無事に入学すればそこはカオス。オタクにガリ勉にいかにもな金持ちの子にリア充。
たった2クラスに色んな階級の人間が詰め込まれていた。となればイジメでも起きるのか、と思いきやクラスが少ないせいで逆に仲間意識が高かった。学年も関係なく。
「周りの中学が人数で攻めるならこっちは少数精鋭だ!」っていう謎の意識で団結していた。何故かは分からないけれども、多分みんな厨二病だったのかもしれない。
そして校舎が異常に狭いのもあった。
何せ市街地のど真ん中にある、小さな公園ぐらいしか無い敷地。
分かりやすく?言うと、ミッドタウンのコナミよりも狭いぐらい。
その中に4階建ての校舎があって、教室棟と2階で繋がっている体育館棟に分かれていた。
一番高いのが1年生の教室で、学年が上がるほど苦労をせずに教室に辿り着けるというシステムだった。全学年の階は吹き抜けで繋がっていて、折り紙の飛行機を投げ合ったりバドミントンをして怒られたりしていた。
一階には職員室と図書室があって、私はそこにあった本を在学中に大体読みきった。スレイヤーズにキノにブギーポップにと、先輩たちの残したラノベが多く私はそこでラノベに出会った。図版の類も伝記も面白かった。分厚い本やミステリにはまだこの頃は手を出すことはなかった。
グラウンドが無かったので、近く(といっても徒歩で結構かかる)の附属高校のを借りに行っていた。プールも高校のを借りた。室内温水プールで、我ながら贅沢だったと思う。
行くたびに高校生たちに遭遇して、何だか不思議な気分になった。
中学は何度も言うように狭くて人数も少なかったが、高校は逆にとんでもない人数を抱えていた。電車で数駅先に他の校舎があるぐらい。
高校には色んな科があって、それぞれのやっていることをグラウンドから眺めるのが楽しかった。
部活は独特なものに入っていたのでそこは伏せる。
ともかくちょっと変わったものに入っていて、大会のたびにバスで東京までみんなで行った。
会場になる大学に入るたび、ああ大学というのはこんなにも広いのか、と思った。東京の広さにもいつも驚き、首都高から見えるお台場にみんなで感激の声をあげていた。
スタッフの人達とは毎年どんどん仲良くなり、ある人とは同じブランドの腕時計をしていることから毎回話し込むほどだった。
今の私は、そんな中学で育まれた。
インターネットに繋がれた世界を見たのも中学のパソコン室でだった。
アンソロジーというものを知り、同人誌即売会というものを知り、イベントにサークル参加するようになったのも中学で出来た友人とだった。
世の中にはコスプレというものがあり、生まれて初めて髪を染めてコスプレをしたのもそんなイベントでだった。
ブリトニー・スピアーズやマルーン5やボン・ジョヴィを知っていることが普通で、それまで周りに洋楽を聞く人が居なかった私が一人ぼっちじゃないことを知れたのも中学で。
友達と一緒に買い物に行くことを初めてしたのも中学の時。
カラオケというものを知ったのも中学の頃。
買い食いをしたのも中学の頃が初めて。
ゲイの友人が出来たのもこの時が初めて。
誰かの第2ボタンを入手することがこんなにも楽しいことだと知ったのも。
誰かを好きになることが私にも許されていることを知ったのもこの頃。
私を好きになってくれる人がこの世にいるんだ、と知ったのも。
こんな私と友だちになってくれる人がいることを知ったのも。
そして、何を隠そう、私が「イチジョウ」となったのも中学の頃。
その頃からずーっと、私はこの名前を名乗り続けている。
今では人生どうなるか分からないもので、この名前も色んな人に浸透したけれど
でもその「イチジョウ」が生まれた場所はもう無くなっていた。
数年前といっても結構昔の話だというのに今でも鮮明に当時を思い出せるぐらい、私にとって大切な三年間だった。
夏の熱い日のクーラーの涼しさ、
共謀してクラス全員でカップラーメンをお昼にして先生に呆れられた日、
売りに来るパン屋さんのシュークリームの争奪戦の日々、
男子と混ざってエロサイトを見て先生に怒られた日、
授業中にクラスで飛び交うイラスト入りの手紙、
コミケに行った子が見せてくれる有名なサークルの同人誌をクラス全員で回し読みした日、
普段は馬鹿ばっかりやってるのに全国模試では一桁を叩きだすクラスメイトたち。
私が卒業した年の一年生から、校舎は廃校だった小学校に移った。
広くて、グラウンドがあって、そして1クラスの人数も増えた。
校舎は市に売却されて、何かの施設になった。
私の入っていた部活は数年後無くなったという。
「馬鹿と天才は紙一重」をリアルにやっていた生徒はもう少数派になり、ゆとりが増えたらしい。
今はもうない、最高の思い出の残った校舎。
今はもうない、最高の居場所だった中学。
無くなっても、私も「イチジョウ」もこうやって覚えている限り、あの3年間は永遠に残るんだと思う。
今泉さんのツイートでそんなことを思い出した、5月の夜。